「井手麻記子さん」その2 女子ラガーウーマンに聞く

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――井手さんが、初めて日本代表に呼ばれたのはいつなんですか?
井手 大学4年の夏に女子連盟の合宿があって、それが終わった夏の終わりに代表入りの連絡を受けました。
――そのときどう思いましたか?
井手 もちろん代表を目指していたんですけど、本当に私が入っていいのかなという感じでしたね。それから始めるきっかけとなったちらしの言葉、『日本代表に最も近いスポーツ』というのは嘘ではなかったと思いました。3年数カ月で日本代表になれましたので。

――現在、井手さんは女子日本代表のフッカーをされているんですが、代表入りのときからそうなんですか?

井手 大学で入部したときに、上の人から「あなたはフォワード」と言われて、それ以来フォワードになりました。ずっとフランカーをやっていたんですが、代表に入ってからはフッカーを任されています。身体が小さかったのと、ソフトの経験があってコントロールよくボールを投げられたので、フッカーということになったのではないかと自分では思っています。
――初めて外国人選手と戦ったのはいつになるのですか?
井手 大学を卒業した2003年の夏に行った、オーストラリア遠征のときですね。

――どういう感想を持ちましたか?

井手 とにかく大きい。でかいなーという感じでした(笑)。でもそんな相手と戦って勝たないと代表としてやっていけないと思いましたし、2005年に行われたワールドカップアジア地区予選を突破できず、本大会に進めなかったのもあって、卒業して3年目に思い切って留学しました。
――どこに行かれたのですか?
井手 ニュージーランドです。ウェリントンのponekeというチームに所属しました。一度だけオフに帰国しましたけど、計22か月間、留学しました。
――井手さんにとって、どんな留学でしたか?
井手 週2回練習して、4月から7月までは毎週土曜日に試合です。相手が大きいとかいうことは全く気にならなくなりました。今、ラグビーをやっているうえで、あの経験は大きかったと思います。でもラグビーだけではなく、違った意味での大きな経験もさせてもらいました。
――それはどういったものだったんですか?
井手 2年目のシーズンの8試合目だったんですけど、相手のひざがはいり、頭を骨折してしまう大ケガを負ったんですね。手術を受けて、60針以上縫いました。 
――ではそれで帰国されたんですか?
井手 いえ、このまま成長せずにマイナスで帰るのは悔しかったので、寿司屋でバイトをしながらトレーニングをして、日本には帰らずに向こうで治療を続けました。ラグビーシーズンが終わるとソフトボールシーズンになるので、ケガもある程度よくなってきたこともあって、ミラマーというクラブチームに入ってソフトボールもやりました。最初はライトの9番だったんですが、できるじゃんという感じで認めてもらって、ショートの1番を任されるようになりました。そうして、ケガを治して帰ってきました。
――現在、井手さんは非常勤で高校の体育教師をされています。常勤ではないというのは、やはりラグビー選手を続けていくためにということなのでしょうか?
井手 そうですね。大学3年のときに本気でラグビーを好きになってからは、ずっと選手を続けたいと思って、そのためにはどうするのがいいのかいつも考えていました。それで今は、ラグビーを続けるために時間の融通がきく非常勤の講師をして、選手を続けています。好きなことをやれるのが一番だと思うので、私はラグビー選手をやることを最優先して生きています。
――ではラグビー選手を引退したあとは?
井手 正教員になりたいですね。生徒と相対しているといいなと思います。教えるというのは自分の勉強にもなって、本当に楽しいです。充実感がありますね。情熱を向けることのできる仕事だと思います。
――ちなみに井手さんは、オシャレには気を使ったりしますか?
井手 それはないです。ニュージーランドでも、ずっとジャージでした。

――日体大にありがちなスタイルですね?

井手 そうです、そうです(笑)。見かけにこだわらない分、ラグビーで頑張ります。
――それでは今、ラグビー以外で手に入れたいもの、欲しいものはありますか?
井手 欲しいものというよりは、旅行に行きたいですね。世界遺産を回ってみたいです。代表での海外遠征でも、よく町を見て回ります。遊びで来ているわけじゃないんだからという人もいますが、せっかく来たのなら空いた時間には見聞を広めたいと思って。
次回はいよいよ最終回、さらに井手さんにお伺いします。

「WE LOVE RUGBY」