サントリーサンゴリアス 田中澄憲 その7 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

画像

オーストラリアで学んだことは、型や綺麗さよりも精度の高さを求めること。
よりラグビーの本質的なスキルに拘ること。さらに、メンタル面を強化することであった。
帰国後、田中は背番号「9」として試合に出場する機会が増えた。以降、チームの主軸となり、勝利の原動力となっていった。
サントリーはそのシーズン、日本選手権で神戸製鋼と同点優勝ながらも日本一に返り咲き、翌年は単独優勝を遂げた。(2000、2001年度)
そして2010-2011シーズン(2010年度)、9季ぶり4度目の日本選手権を制した。
勝負に栄枯盛衰はつきものである。サントリーも例外ではないが、日本ラグビー界のけん引役として、いつの時代も異彩を放つ存在であり続ける。
田中の競技人生を振り返る時、何度か突き抜けた時があった。
・小学5年生、あるコーチと出会い理論と楽しさを知る。
・報徳学園、近畿大会準優勝による自信。
・大学3年生、初めての早明戦。緊張と重圧をくぐり抜けた先の成長。
・サントリー、土田監督の言葉。自分を見つめ直すキッカケとなる。

◇日本代表初キャップの思い出はありますか。

「ヨーロッパ(スコットランド、ルーマニア、ウェールズ)遠征です。あれは苦しいジャパンでした。ボクが28歳の時です。まさか呼ばれるとは思いませんでした。
初キャップはスコットランド戦(8-100)です。大敗でした。リザーブからの出場ですが、特別な思いはなかったと記憶しています。もちろんワールドカップなら違うかもしれませんが、あまり熱くなれなかったのです。ウェールズ戦は大観衆の中、あの独特の雰囲気に鳥肌が立ちましたが、結果は「0-98」でした……。
ボクがジャパンに選ばれた回数は少ないんですよ。ですが、相手がスコットランドやウェールズというヨーロッパのチームだったことが光栄です。得点差は大きかったけれど良い経験ができたと感謝しています」
◇ライバルは?
「同じポジションの選手ならば誰にも負けたくありません。ボクがそう思わなくなったら引退するときです」

◇自分の持ち味は何だとお考えですか。

「若い時はスピードでした。今は人を活かすことです。これはプレー面だけではなく、精神面からポジティブに変えること。その洞察力というべきところだと思います。
これは言いかえるとコミュニケーション能力です。フォワードを動かすことも、それと同じです。若い頃と違ってプレーで引っ張るというよりも、コミュニケーション能力で周囲に動いてもらうような感じです」

◇最近心掛けていることはありますか。

「まず相手の考えを受け入れてみようというものです。以前は自分と意見が異なると受け入れることができませんでした。でも今は考え方を改めて『そうか、そういう考え方もあるんだな』と思って受け入れてみるんです。この受け入れてみようという考え方の変化が、周囲を活かせることに繋がってきたのかもしれないと思います。若い頃はぜんぜんだめだったんですよ(笑)。嫌なものは嫌でしたから。ラグビーのお陰で成長することができました。感謝しています」
 
スーツ姿に凛としたビジネスマンとしての姿勢を感じました。
田中選手、仕事の合間、お疲れのところありがとうございました。
WE LOVE RUGBYの執筆陣は、ラグビー日本代表を応援しています。
 
【了】
【プロフィール】
大元よしき(タイゲン ヨシキ)
1962年生まれ。2003年外資系IT企業からライターに転身。スポーツのほか、歴史関連も執筆。弓道三段。保善高校からラグビーを始め、チームは2、3年時に花園に出場するが、グラウンドに立てたのは開会式のみ。東洋大学、東急、ミノルタで17年間ラグビーを歩む。
雑誌「WEDGE」に『あの負けがあってこそ』連載。
著書に「命のバトン~自閉症児と個性派不登校児の教室」 「1万回の体当たり~タックルマン石塚武生 炎のメッセージ~」 「一緒に見上げた空~自閉症児×元不登校児 武蔵野東ラグビー部の軌跡~」 「ジャパンラグビー革命」(上田昭夫/大元よしき共著)
「ファイナルマッチ~ノーサイドの時を迎えて~(小説)」(大元夏樹名で発刊)。
その他イーブックでは、「猛き風~伊藤剛臣世界への挑戦~」 「最後のスクラム(小説)」あり。