サントリーサンゴリアス 田中澄憲 その5 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

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◇明治大学へ
1994年の春。高校日本代表に選ばれた田中は、ニュージーランド遠征から帰国後、同期入学の仲間よりも少し遅れて明治大学の寮へ入った。
「明治といえば上下関係が厳しいので有名です。先に寮に入っていた同級生が『ワニに噛まれた(笑)!』と聞いたので、もうその時点で心が折れていました。これってもう挫折ですよね。でも、早明戦に出るまでは諦めないぞと思って、とにかく頑張りました」
そんな田中だが、1年生の12月、大学選手権の1回戦からリザーブに入り、2回戦の中央大学戦では背番号「9」を着て出場を果たした。きわどい試合を田中のトライで制し、勝負強さをアピールした。
2年になって「これでレギュラーになれる」と思った矢先、肩を脱臼、その後も脱臼を繰り返したので手術することになった。伸び盛りの心が挫かれた。
怪我、手術、リハビリで1年間を棒に振った。
「春の怪我から、何もできないままシーズンを終えてしまいました。復帰できたのが3年生になってからです。あの時は怪我による挫折を味わいました。」
◇突き抜けた瞬間!早明戦
「ボクが3年の時の早明戦です。グラウンドに出て行った瞬間、あまりにも凄い観衆なので目の前が真っ白になってしまいました。舞い上がってしまって、それ以外のことを憶えていないんです……」
1990年代の早明戦といえば、国立競技場が満員になったほどラグビー人気が高かった。異常な熱気が会場を支配し、ワンプレー、ワンプレーにどよめきが起こった。
高校時代から憧れていた早明戦。国立競技場のピッチに立ってからの記憶がない。後にも先にもあれほど緊張したことはないと振り返る。
大観衆や伝統など、「早明戦」という全てから重圧を受けた試合だった。大歓声にかき消され、試合中、仲間の声が耳に届かなかった。
田中の競技人生で1番のインパクトを持った試合となった。
「あきらかに、あの試合でボクは変わりました」
年が明け、大学選手権の準決勝、決勝でも同じ国立競技場のピッチには立ったが、観衆の声で仲間の声がかき消されたことなどなかった。むしろその逆だ。ピッチ上に観衆の声はなく、仲間の声だけが田中の耳には届いていた。
それだけ試合に集中していたということだ。
「ボクは12月の早明戦以降、感極まって試合に臨むようなこともなく、いつの試合も冷静に落ち着いてプレーすることができるようになりました。本来は大学選手権の決勝の方が緊張しても良いはずなんですが、前は良く見えましたし、まったく不安感もなく最高のパフォーマンスができていました。12月の早明戦は、本当にボクが突き抜けた瞬間だったのです」
このシーズン、明治大学は大学選手権2連覇を飾った。
【続く】

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