サントリーサンゴリアス 田中澄憲 その4 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

◇スパルタから解き放たれて
3年生になると指導体制が変わった。それを機にチームに自主性がもたらされた。
また、社会人チームの神戸製鋼やワールドの選手、コーチから指導を受ける機会も増えた。
田中たち選手間のコミュニケーションが活発になった。
こうしてチームは変わっていった。
その成果は思いのほか早く表れた。
新チームによる近畿大会(新人大会)において、
「1回戦で大阪代表の同志社香里に勝ったんですよ。このチームは大阪工大(現常翔学園)
に勝って出場していたので強かったのです。過去の兵庫県と大阪の力関係でいえば、かなり厳しい試合になるはずでした。この試合が僕たちに自信をくれたのです。これが競技人生で2度目に突き抜けた瞬間でした」
◇自主性が生み出したもの。
田中は熱い気持ちでみんなを引っ張るタイプだが、その反面、常に冷静な目を持っている。この時も「戦力的にはかなり厳しい」と見ていた。しかし、前年までのチームとは変わっていたと田中は振り返る。それは、やらされるスパルタ練習から、自分たちでやっている練習になり、コミュニケーション能力もモチベーションも高まった中での試合だったということだ。チームにはプレッシャーを跳ね返す、強靭な柔軟性が生まれていた。
 決勝では啓光学園(現常翔啓光学園)に敗れたものの、自信という大きな財産を手に入れたのである。
◇花園、初のAシード。
近畿大会以降、一人ひとりに強い心が芽生え、自主参加でありながら毎朝練習が行われた。
夏合宿でも負けなし。そして秋、兵庫県大会を一気に駆け上がった。
「花園ではまさかのAシード。報徳学園始まって以来だと思います。もちろん僕らは
優勝目指して乗り込んだのですが、結果はベスト16。東京農大二高に負けてしまいました。7点差だったと思います」(報徳学園18-25東京農大二高)
その東京農大二高は決勝戦まで勝ち進んだ。
これで田中の花園は終わった……。
しかし、このあと予期せぬチャンスが彼を待っていた。
「1次、2次の選考では選ばれていないんですよ。それなのに、花園後の3次選考で高校日本代表に選ばれニュージーランド遠征に参加しました。もともと足には自信があったのですが、パスなんてヘタクソだったんですよ。でも近畿大会の自信があったので、自分の強みや得意なプレーをアピールできたのかなと思っています」
【続く】

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