サントリーサンゴリアス 田中澄憲 その3 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

◇目標は花園。
「高校生になったら、花園に出たい」
これはほとんどの中学生ラガーマンが願うことなのかもしれない。中学生の頃の田中も同じであった。
兵庫県のお隣、大阪は全国的にレベルが高く強豪高校がひしめき合う激戦地区である。
「大阪へ行きたい。やるからには強いところへ」と思ったこともあった。しかし、準決勝、決勝で全国レベルの強豪同士が対戦し、一方が花園出場の機会を失うという厳しさも持っている。心に待ったが掛った。
「強いチームでやってみたいと思う反面、花園に行けないリスクもあるわけです。その上、通うのに少し遠かったのです。それならば、兵庫県内の報徳学園に行けば、ほぼ確実に花園へ行けるだろうと中学生なりに計算しました。当時のボクには花園に出ることが最大の目標だったからです」
◇越えられない壁
1991年。報徳学園に進学した田中のポジションはウイングかフルバック。スピードには自信があった。2年生からレギュラーとなり念願の花園のグラウンドにも立った。
しかし……。
「2回戦で西陵商業に負けました。名監督として知られた前田豊彦先生が前年にお亡くなりになって、その後、なかなか体制が整わなくて、納得した練習ができない状態でした。延々と走り込みばかりをやっているような内容です。違和感を覚えながら練習していたのでは強くなれません。そこに勝ち上がれないというか、報徳が一皮剥けない理由があったと思います」
田中は勝つことに飢えていた。
2年生の花園以後、1、2回戦で負けないチームになりたい。全国の強豪チームとしっかり戦えるチームになりたいという思いが強くなった。その思いは田中ひとりではなく、同期のメンバーが強く感じたことでもあった。
 高校生最後の年、新チームに懸ける思いは高まっていった。
【続く】

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