サントリーサンゴリアス 田中澄憲 その2 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

画像

◇ボクは帰宅部……。
家の周囲には畑や田んぼがあった。小学生の頃はそこで遊ぶのが好きだった。
週に1回伊丹ラグビースクールに通ったが、低学年の頃はやらされている感があって、とても好きにはなれなかった。
楽しさを教えてくれるコーチに出会ったのは小学5年生。
それをキッカケにラグビーの魅力に取りつかれていった。
「中学生になっても続けたいと思ったのですが、学校にはラグビー部がありません。
当時は伊丹ラグビースクールにも中学生の部がなかったのです。
僕らの代は県大会で優勝していたのでどうしても続けたかった。
だから『みんなでラグビーを続けよう』とスクールに残りました」
 だが、週1回の練習ではもの足りない。そこで田中は中学校の陸上部に入ろうとしたが、「日曜日は試合だから、ラグビーが続けられなくなる」との理由から、悩んだ末に断念。本人曰く「仕方なく、ボクは帰宅部」の道を選んだ。
◇自主練習の日々。
 ラグビースクールに残ったメンバーは13名ほど。それぞれ違う中学校に通っていたが、ラグビーが好きな連中ばかりである。放課後になると昆陽池公園(こやいけこうえん)に集まって夕暮れまでタッチフットで汗を流した。
 強制されたわけでもないのに毎日8人くらいは集まっていたというのだから、はやりみんなラグビー好きである。また、人数が揃わない時は、木の間を走ってステップの練習をしたり、木にボールを当てるパス練習を行った。
「あっはは、よくやりましたよね。これって毎日が自主練習なんです。2年生になると後輩たちに『みんなも来い来い!』と誘って人数を増やしました。それで県大会に出場したのですが、決勝で負けて悔しい思いをしました。その翌年もまた小学校を卒業する後輩たちに『来い来い!』ですよ。こうして昆陽池公園の人数が増えていったのです」
 また平日の夜、週に2回はラグビースクールのコーチが所属する市役所のクラブチームの練習に交じった。これも自分たちの意志によるものだった。田中は大人たちとの練習がとても楽しく感じられ、大好きだった。
昆陽池公園の自主練習と市役所との合同練習によって、田中たち伊丹ラグビースクールの中学生は力をつけた。その結果、3年時の兵庫県大会では優勝を遂げ、さらに大きな目標に向かうことになる。
それは……。
【続く】

WE LOVE RUGBY