三洋電機ワイルドナイツ霜村誠一 その6 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

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◇ラグビーの神様
社会人2年目の春シーズン、霜村はラグビー留学のためニュージーランドのクライストチャーチクラブに向かった。そこではAチームとして出場しカンタベリー地区の大会で優勝を経験する。周囲からは「ニュージーランドのクラブ大会で、それもディビジョン1で日本人プレーヤーが優勝メンバーに入れることなんてあまりないことだよ」と言われ、本人曰く「知らず知らずのうちに調子に乗っていました」となる。
 高校時代の部室の整理整頓にはじまり、大学時代のボールの空気入れなど、常に慢心することなく自分を律し、戒めながらラグビーに関わってきたような性格の霜村である。
「謙虚に……」と言い聞かせ、心掛けてはいた。しかし、社会人1年目でジャパンに選ばれ、2年目にはクライストチャーチクラブでの優勝である。少しばかり鼻が高くなってきてもおかしくはなかった。
 
 身体が一回り大きくなり、強くなったという感覚とスキル面の向上を実感し、自信がついてきた矢先のこと、ラグビーの神様に伸びた鼻先を折られることになる。
 それは三洋電機の夏のオーストラリア合宿のことである。ニュージーランドから合流した霜村は、試合中に膝に怪我を負い戦線離脱を余儀なくされた。それまで挫折らしい挫折を経験していなかった男に試練が訪れた時であった。
◇怪我、そしてまた怪我……。
長いリハビリ期間を経て戦列に復帰した霜村だった。だが、試合開始から10分で再び膝に怪我を負い、さらにそれが治って復帰するも、なんと試合開始から1分でまた膝に……。
先の見えない長い、長い闘いだった。たび重なる負傷に心が折れ掛った。
「試合に戻っては怪我ですからね、あの頃は本当についていませんでした。きっとラグビーの神様が『おまえ、だいぶ調子に乗っているな』と慢心に気付かせてくれたのだと思っています。
あのときは膝の怪我ばかりなので、復帰するとまた膝に怪我をするんじゃないかとネガティブな考えが浮かんだりして、それが怖かったですね。怪我自体よりも、怖いと思ってしまう僕の心が怖かった……。
入社2年目から4年目までは、そんな不安定な心の状態なので、プレーしていてもまったく納得ができず『なんでこんなパフォーマンスで選ばれるのだろう? どうしてこんな自分が出してもらえるだろう?』と考えたり、悩んだりしていました。僕の競技人生のなかで一番つらかったときです」
 霜村はこの精神的に苦しんでいるときに再び日本代表に呼ばれている。自身の評価とは異なるが、周囲からはそのパフォーマンスが認められていたということだ。
 人は自信を失ったとき、自分自身を過小評価することがある。
また長い怪我との闘い、自身との闘いの苦悩が鬱積し、昇華され、以前よりも求めるものが大きくなっていたのかもしれない。
 
【続く】

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