NECグリーンロケッツ 熊谷皇紀 その6 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

<トップアスリートの突き抜けた瞬間!>
NECグリーンロケッツ熊谷皇紀 その6

◇どんなに暗くても、朝の来ない夜はない。
大学での挫折を支えたものは“社会人では必ず日本一になる”という強い思いだけだった。
「さらに高いところへ挑戦して、大きな感動を味わいたい」という中学時代の夢は、いまだ叶えられず、それどころか満足にプレーできないシーズンが続いている。
熊谷は、その夢を持って社会人の強豪NECグリーンロケッツに入社した。
そして2002年。熊谷が入社2年目のシーズンに、NECは「東日本リーグ」の7位から「日本選手権」優勝という、後に「ミラクルセブン」と呼ばれる快挙を成し遂げた。
「あのときは大きな怪我もなく元気に闘えたシーズンでした。その翌年にはマイクロソフトカップ(プレーオフ)の初代チャンピオンになり、04、05シーズンは日本選手権の優勝と続きました。僕のラグビー人生で一番怪我が少ないときと、チームの状態が良いときが上手く重なりました」
◇さらなるステージ。

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2004年、熊谷は韓国戦でジャパンに選ばれ、初キャップを獲得した。
「とにかくジャパンになりたかった。それは、純粋なジャパンへの憧れというよりも、選ばれれば世界中の国々に行って試合ができると思っていたからです。名誉なんかほしいとは思いませんでした。ただ、中学時代から欲していた高いステージに上がることだけを望んでいたのです。すべては、中学生の九州大会での優勝が原点になっていました。あの延長線上に今の僕もあります」。
「九州大会」「花園」「大学選手権」「ジャパン」という夢のステージは、いつでも熊谷のなかではつながっていた。そして周囲には必ず自分は「なる」とか「やる」と公言していたのである。
そして、熊谷は日本代表の座を掴んだ。以降26キャップを数える。
◇ライバルの存在。
「僕は激しさというよりもスキルで闘う選手だったのです。ジャパンに選ばれたときも器用なところが評価されたと思っています。でも僕のライバルである東芝の大野は、とても不器用ですが、ガツガツ、ごつごつと激しく、荒削りでも直向きに闘っています。最近、僕も器用にやっていてはダメだと思うようになりました。ここ数年、目指しているのは、あの大野のスタイルなんです。自分の持ち味を活かしながらガツガツやりたいですね」
熊谷と大野はフィールドではライバルだが、好きなお酒の席では大の仲好しである。でも「酒でも大野には負けないよ」と熊谷は笑う。
【続く】