NECグリーンロケッツ 熊谷皇紀 その5 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

<トップアスリートの突き抜けた瞬間!>
NECグリーンロケッツ熊谷皇紀 その5

◇夢のステージ「花園」へ。
高校生になっても椎間板ヘルニアには苦しめられた。しかし、2年生にしてスタメンとして聖地「花園」の土を踏んだ。けれど思い入れが強かったせいか、緊張のあまり動けなかったことくらいしか記憶に残っていない。
3回戦で東京の國學院久我山高校に敗退し、聖地「花園」を後にした。
その悔しさは、翌年のモチベーションへとつながっていった。
そして3年生となって……。
「新人戦、九州大会、夏合宿でも1度も負けていませんし、国体も優勝しています。そのシーズンは公式戦、練習試合含めて一切負けたことがありませんでした。だから花園では優勝したい、ではなくて“優勝する”と自分の中では決めていました」
全国制覇に向け自信を持って「花園」に臨んだ。しかし、負けなしだった東福岡は、最後にして最高の大舞台で頂点に立つことはできなかった。
準決勝で対戦した大阪代表の啓光学園(現常翔啓光学園)に「東福岡19-20啓光学園」と1点差で敗退したのである。
熊谷はしばらく負けたという現実を受け入れることができなかった。
その後、ロッカーロームでは呼吸ができないほど泣いた。泣いて、泣いて、声など出ないほどに泣き崩れた。

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◇まぼろしのステージ
“花園での敗戦をいつか笑い飛ばしてやる”こう決意して法政大学へと進学した熊谷。
「具体的な目標は全国大学選手権大会の優勝です。花園では、優勝すると決めて臨んでいながら負けたのですから、借りを返すぞという気持ちでした。ですが、大学では、どうしようもないほどの挫折を味わうんです」
身体のサイズや身体能力など、熊谷は非凡なる才能を持ちながらも、大学時代にレギュラーとして活躍できたのは3年生のときだけだった。
腸閉そく、胸鎖関接の骨折、腰痛などが次々に襲い掛かり、関東代表やジャパンA代表にも選ばれていながら、活躍する機会はなかった。
特に4年生のときは練習すらできないうちにシーズンを終えた。チームは全国大学選手権大会で準優勝という成績を収めたものの、悔しい気持ちを募らせながら試合を見つめているだけだった。
【続く】