NECグリーンロケッツ 熊谷皇紀 その4 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

<トップアスリートの突き抜けた瞬間!>
NECグリーンロケッツ熊谷皇紀 その4

◇飛行機を見上げて
中学生の頃の逸話に、こんなものがある。
ある日、熊谷が練習中に飛行機が飛んでいるのを見上げていると、顧問の宮田先生から「おまえはいつか飛行機に乗って、世界中を飛び回るような選手になるんだよ」と声を掛けられた。熊谷も「そのつもりです」と応えたという。
まだ九州大会で優勝する以前のことである。漠然とはしていても、すでに中学生のころから、目は世界という大きな舞台に向いていたのかもしれない。
そして九州大会の優勝。これが選手として、人として突き抜けた瞬間だったと振り返る。後にも先にも、これほどの感動を覚えたことはない。
熊谷のなかでひとつのステップを駆け上がったのである。
「椎間板ヘルニアのこともありましたが、とにかくラグビーを続けたかった。九州大会よりもっと大きなステージや、もっと大きな感動がほしくなりました。スクールウォーズがテレビで放送されていたので、こんどは「花園」が憧れの舞台になったのです。
これからは、あの感動を「花園」で感じるんだと決めました。僕の中では、それ以外に道はなくなっていったのです」
◇聖地への思い
九州大会の優勝。これが選手として、人として、競技人生全般を通して突き抜けた瞬間だったと振り返る。後にも先にも、これほどピュアな感動を覚えたことはない。
熊谷のなかでひとつのステップを駆け上がったのである。
「椎間板ヘルニアのこともありましたが、とにかくラグビーを続けたかった。九州大会よりもっと大きなステージや、もっと大きな感動がほしくなりました。スクールウォーズがテレビで放送されていたので、こんどは「花園」が憧れの舞台になったのです。
これからは、あの感動を「花園」で感じるんだと決めました。僕の中では、それ以外に道はなくなっていったのです」
「近鉄花園ラグビー場」。野球でいえば甲子園である。そこは、聖地と呼ばれるほど全国のラガーマン憧れの地である。毎年12月下旬から年明けにかけて、熱き闘いが繰り広げられる。
熊谷にとって一番の近道は福岡県で一番強い東福岡高校に入ることだった。けれど、身体のことを心配してか、いつもは「意志決定は自分でしろ」と言っている父親が、熊谷の決断に「待った」をかけた。
しかし「僕はこの先、ラグビーで生きて行くのでラグビーをさせてほしい。僕はラグビーで大学も行くし、社会人にもいくから自分に高校を選ばせてほしい」と言って、自分の意見を押し切って東福岡高校進学を決めた。
熊谷はその意志を「僕は花園に行きたいんです」という言葉で谷崎監督(東福岡高)に伝えると、「あそこには、おまえが俺を連れて行くんだ」と返された。
主体は選手にありということだ。これで熊谷の気持ちは固まった。
以後、すべてはラグビーのために。
熊谷の人生はラグビーと共に歩むことになる。
【続く】