ラグビー日本代表 大野均 その3 <トップアスリートの突き抜けた瞬間!>

大野に2度目の転機が訪れたのは大学4年の時だった。
国体の福島選抜に選ばれた時に一人のコーチの目に止まった。
それが縁で当時の東芝府中監督の薫田真広に紹介された。
「はじめは薫田さんが試合を見に来ることになったのですが、
うちのチームの人数が少なくて試合が組めなくなったのです。
『それなら、おまえが来い』と呼ばれて、東芝の練習に参加させてもらうことになりました」
天下の東芝府中である。
周りを見れば強豪大学出身の有名選手ばかりだった。
後々知らされたことだが、当日の練習はその年の中で一番キツイ内容だったようだ。
狭いグリッドの中で、生タックルをガチガチにやりあい、延々とボールを奪い合ったと大野は記憶している。
当時の体重は90キロを少し超える程度。
まだ出来上がっていない身体に、東芝のコンタクトは衝撃が強すぎた。
その練習で大野は右肩を脱臼したが、その痛みすら感じなかったほど舞い上がっていた。
「周りのレベルが数段高いことはわかっていました。
でも、自分のどこが良かったのでしょうか、『東芝へ来い』と誘っていただきました。
こんなチャンスは2度とないだろうから、チャレンジしてみようと思ったのです」
地元で就職しようと考えていた。
内定をもらっている会社もあったが、第一志望は消防士になることだった。
けれど、運命は大野を東芝へと誘った。
突然訪れたチャンスに自らの可能性に挑戦してみたくなったのである。
◇2001年春、新天地 東芝府中へ。
東芝に入社後、改めて感じたことはコンタクトプレーの激しさだった。
「やはりと言いますか、レベルが違うなと感じました。でもそれが苦しいとは感じませんでしたね。
余計なことを考える余裕もなかったのですが、あの頃は早く周りに追いつきたいと必死でした」
その年の5月、オープン戦が始まる時期に一つのチャンスがやってきた。
フォワード、それもロックに怪我人が出たのである。これで大野にも出番が回ってくるはずだった。
しかし、試合の3日前に肩を脱臼し、それ以降、春シーズンは試合に出ることもなくリハビリと練習で終えることになる。
「やるぞって気持ちが高まった矢先に怪我をして、あの時は情けなくて仕方がありませんでした。
これから社会人でやっていけるのかと不安になった時でもありました」
ただでさえレベルの違いを感じていた。追いつきたい一心からの怪我だった。
不安と焦りと悔しさが鬱積していく中で、大野は練習に打ち込む冨岡鉄平、立川剛士、伊藤護ら若き先輩たちの姿勢にハッとさせられた。
【続く】

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